世の中褒めたいマン
当ブログのテーマになっている「褒める」
褒めるって一体何なのか、誰に何のメリットがあってこんなことやろうと思ったの?
結論から言えば「人を褒めるのは自分のため」なんですな
褒めるとは何か
なーんか上から目線にも見えてしまう褒めるという言葉
言い換えれば賞賛するとか高く評価するとなります
正直に言えば褒められる相手のことは考えていません
お前のようなポンコツが偉そうになんだと思われるかもしれません
だが仕方ない! 褒めたいんです! 凄いもの、凄い人には凄いと言いたい!!
お前がなんと言おうと俺はお前を褒めるからなこの野郎!!!!
もうほとんど迷惑行為じゃん・・・
全然関係ない奴が走り寄ってきて「それ嫌い」と言い放つネットでよく見受けられるあれ。あれと一緒
全然関係ない奴がブログ立ち上げて「お前すげー」と言いたいだけ
批判を受けがちな要素もとにかく褒めます。必ず良い所がありますので
褒めるのは自分のため
褒めるのは自己満足です。自己満マンです
本来僕は真逆の人間ロボでした
物事の嫌いな部分だけを目ざとく見つけ「ここがダメ」と指摘するのが得意な奴
やがて段々無気力のようになり
あーつまんねー人生つまんねーと屁をこきながら呟くだけのロボになりました
色々なコンテンツ、ひいては世界そのものを楽しめなくなっていったのです
ですがある時ふと気付きます
嫌いなところを見つけるのが得意ならば、良いところを見つけることだって出来るのではないかと!
出来るの!? 知らない!!
褒める人が少ない
アニメやゲーム、映画のエンディングを終えた直後、深い感動に包まれた僕はグーグルを開き検索窓にこう入れます
「(タイトル) 評価」
すると出るわ出るわ批判的な記事、書き込み
きっと賞賛している人も多いのでしょうが、ネット世界では批判の方がどうしても目立つのです
逆の意見が目に入りやすいだけかもしれませんが
僕はこんなのが見たくて検索したんじゃないやい!
「良いアニメだったよな」
という感想を見て
「よくわかっているじゃないか」
とニヤニヤしたかったの!
それだけ。それだけだったんだ!
そんな時は
「(タイトル) 海外の反応」と検索します
何かを評価する際に日本は減点方式、欧米は加点方式と聞きますが海外の反応で検索するとその通り賞賛する声で溢れていることが多いです
勿論これはランダムで正当に評価を集めた記事ではなく、好意的なものだけを引用しているのかもしれないことはわかっているんだけど
それでもどこか溜飲が下がってしまう
自分が好きになったものがようやく正当な評価を受けている気がしてほっとするのです
お前らわかってんじゃん(ニヤニヤ)
じゃあ僕がその役やる!
批判も大事なことはわかっています。それは前提
きっと手離しでただ褒めちぎる人より、きちんと欠点を指摘してくれる人の方が誰かの役に立つんでしょう
例えばネットで「ハゲ」と検索すると「原因と対策! 解決する7つのポイント!」(架空です)とか
「コミュ障」と検索すると「コミュ障の治し方! 積極的になるには?」(これも架空)などのタイトルがヒットします
うん。わかります。きっと治したいと思って検索する人が多いのですから、対策を記事にした方が役に立つのでしょう
ハゲててもかっこいいよ? なんて言ったってハゲで悩んでる人にはなんの解決にもならないもんな
でもね、きっと誰もが努力出来ることではないし
「あなたはそのままでもいい。ハゲだって素晴らしいじゃないか」
と全力で肯定してあげる役割も多分誰かには必要なんじゃないかと思ったんです
北風強すぎるんで僕太陽やってもいいっすか? みたいな!
無責任かもしれませんが、何かとアラ探しされ、失敗を恐れる社会で
「無理矢理にでも褒められる」経験は何かの力になるかもしれません!
知らないけど。なるといいな!
褒める効果
それから僕は人や物事の良いところを探すことにしました
褒める技術というとまるで打算的に相手から好印象を勝ち取るための手段かのように解説されていることがあります
そうではなく、もっとシンプルに肯定してあげたい
見ろよこいつすげーだろってやりたい
次第に自分がポジティブになっていくのを感じました
人を褒めて自分も元気になれる!
お得!
ってことで!
うざいくらい褒めるブログを作ったのでありました
めでたしめでたし
それ以外にも多分色々書くけどね!