偏見を『持つべき』理由と注意点について
どうも、ブラウン管です
こういうのオピニオン記事って言うんでしょうか? 違う?
自分としてはそんな立派なもんじゃなくて思ってることを書いてるだけなんだけど、気に障ったらごめんなさいね
でも書く。謝りつつ。軽く自分の経験を交えつつ
それでいいじゃん! って話です
偏見はもっと持つべき理由
「偏見を持つのはよくないことです」
「人を見かけで判断してはいけません」
「偏見は差別に繋がります」
こんなことよく言われていますね。学校でも教わりましたか?
僕自身、過去にはその考えを信奉しておりまして
「そうだよな、偏見っておかしいよな」
なんて考えていた時期もありました
でも今ではそれが間違いだったと思っています
それは道徳的、哲学的に間違いだ! というのではなく、自分の生き方、考え方には合っていなかったんだと気付いたんです
偏見を持たないことにデメリットがある
実は偏見を持たないことにはデメリットがあります。・・・ある人もいます
それはもう「つまんねぇよなぁ!?」ってことです
また自分の話で恐縮ですが、僕は中学生の頃に反偏見主義を信奉していて全てをそのような価値観で測っていました
例えばニュースで犯罪者が大々的に報道され、鬼の首でも取ったかのようにぶっ叩かれている映像を見れば
「僕は報道された犯人像しか知らない。本当に現場を見た訳ではないからニュースの情報だけでは何も言えない」と口を閉ざし
友達と好きなミュージシャンの話になり、自分の好きな曲を聴かせて微妙な顔をされた時にも
「まぁ感性は人それぞれだから仕方ないよね」
教師や親に納得の出来ないことを言われた時も
「彼らには彼らの意見があるんだな」
と自分の中で消化していたんですね
これね、超つまんねーの!
他人に一切興味無くなんの! 人生クソつまんねーの!
きっと「人を認める」の意味を勘違いしてこじらせていたんだと思います
他所は他所、うちはうちの究極系になったと言いますか
「うんうん、あなたはそれでいいんだよね。僕は違うけど」
で終わるんですよ! 全部!
「ニュース? ワイドショー? 詳しく知らない事象に個人的な感想は抱けないね。それは偏見というものだよ?」
てめーは悟った坊主かよ!!
いやわかりませんよ? 当時14やそこらのガキだったこの頃のロボ少年の方が真理や哲学においては今の僕より進んでいたのかも知れません。こんな考え方そのものが全て間違いだったとまでは言いません
でも不相応だった。そんな人間にはなれない。あ、ロボなんだった
他人の全てを認める代わりに自分自身がなんなのかよくわからなくなっていきました。苦しみましたね。こんなこと言っても誰も理解してもらえないだろうって親にも相談せず毎晩頭を抱えて寝てました
そんなロボ少年、ある日気付いたんですなぁ。こりゃこのままいくにはデメリットがデカいゾと。考え方そのものを変えるしかねーぞと
偏見の塊こそが自分である
僕の敬愛するアルベルト・アインシュタインの言葉にこうあります
常識とは、18歳までに身に付けた偏見のコレクションである。
今では割りかし有名になった言葉でもありますが、これを見てどう捉えるでしょうか?
アインシュタインは他にも、様々なことに疑問を持てとかチャレンジしろといった言葉を残していることを考えれば、これは常識を疑えという意味に解釈するのが正しいように感じます
しかし僕はこれを見て「偏見を持ってもいいんだ!」と謎の気付きを得ました。馬鹿ですね。感嘆符が馬鹿っぽいです
人が持っている常識ですら偏見であるなら、自分の趣味嗜好、考え方捉え方感じ方全て偏見じゃないか。それでいいじゃないか。と
自分の偏見を愛しましょう。あえて偏ってみせましょう。偏ることでようやく反対側の人達の顔が見えます
偏見を持たない人生は集団の中で耳を塞いでいるのと同じことだと思います
偏見を持って何をするのか
僕はたけのこの里が好きなのですが、きのこの山派は味覚音痴だと思いますね
まずあの硬いチョコで出来た傘とクッキー。あんなの他にもあるじゃないですか。ポッキーとか味も食感も似てません?
その点たけのこの里は他に類を見ない食感です。円錐状でボリュームを感じさせる食べごたえの中にサクサクとした歯ざわり。ムニですね。ユイイツムニ
はいこんな感じであえて喧嘩をふっかけることも出来ます。きのこたけのこ戦争なんてお遊びみたいなもんですが、他も全部お遊びみたいなもんです
どのラーメンが美味いだとか、どの球団を応援しているだとか、ゲームをするとバカになるだとか、金髪は不良だとか
嗜好と偏見は厳密には違うものなのですが、そういった考えの偏りをあえてここでは偏見とまとめて呼んでいます
論争になりがちな政治、差別、事件なども自分の意見を持つことは偏見であります。僕はそう思います
ただし
ただしですよ。この僕が「持ったほうがいい」とする偏見は普通の偏見とはまた少し違うんです。それを注意点として解説します
持つべき偏見の注意点
これは偏見であると自覚すること
これ。超大事
別に自分の考えを偽ってまでどちらかに偏る必要はないのですが
もし何か意見を持つのであればそれは偏見であり、ある方向からのみの見え方であり、不完全な意見であることをしっかり自分で認識して自覚を持つこと
偏屈になってはいけません。ただの頑固になってはいけません。反対意見と対話するために偏見を持つんです
よくいませんか? 明らかに偏った考えを持っているにも関わらず、反対意見は見ない聞かない痛いとこを突かれればブロック、ただ自分は正しいと信じ込み間違っている者に暴言を浴びせたいだけ
これをそのようなポーズでやっているならいいのですが、本当にそれが正しいことだと信じ込まないこと。どうせ高確率で間違ってます
この意見は不完全であることを自覚しつつも、今思う気持ちとして立場を明確に持つことが僕の言う偏見のススメです。反論を聞いて考えを改めるならそれもまたよし!
なんかこう見ると普通のことですけどね。意識してるとまた違うよってことでどうか此処は一つ
差別はしないように
偏見を持ちながら差別しないなんて出来るの?
出来ます
むしろ出来ます
上で挙げた注意点、偏見であることを自覚することさえ守っていれば、そんな不確かなもので人を傷つけるなんて馬鹿らしいとちゃんと気付けます
意識せずに偏見を持っている人の方が無意識に差別してしまうものです
持つ意見によっては相手に差別と感じさせることもあるかもしれませんが、それは対話のチャンスと思って話し合いましょう。それが大事。腹に隠し持つのではなくきちんと腹を割って対話出来るならそれは差別ではなくなっていくでしょうね
陰口は言わないように
特に特定の個人に対して陰口は慎みましょうね
てかわざわざこんなとこで言わんでも人として当然のことではあるんですけれど
僕が提唱しているのは対話を目的にした、人とコミュニケーションを取るための偏見、偏りです。陰で言ってたってあんまりね
自分に同意してくれる人とばっかりつるんでると、この偏見が正しい意見だって勘違いしがちなので気を付けましょうね
まとめ
いやーー想像以上に偉そうでしたね!?
普段こんな馬鹿なこと書いてるくせに
何偉そうに語ってんだぁ!?
すみません許してください! 何でもしますから!
でも中学時代のロボ
「あなたの意見はあなたの意見、僕は僕」
みたいなくっそしょーもないつまんない人間になるのだけは本当におすすめしないんで! 気をつけろってのもなんか変ですけど、良かったら一緒に偏見人間になりましょうね! あ、ロボなんだった
これで以上です! 何かあればお話して下さい!
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