世の中褒めロボ

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意識を割ってみる思考実験

 どうも、脳無しロボです

 

 

 みなさん、意識ありますか?

『自分が自分であると認識する感覚』のことです

 目を開いて画面を見ているのは自分だし、手は自分のものだし、呼吸も自分がしている。それを疑うことは健康であれば普通無いと思います

 僕は僕ですし、あなたはあなたであると認識している。それが意識です。ってことでここでは定義させて下さい

 

 では、意識はどこに宿っているのでしょうか?

 思考実験をしてみたい。実験なので何か答えが出てスッキリするような展開は期待しないで下さい

 画像などでは使いませんが軽くグロテスクな話もするのでご注意を

 

 

意識はどこに宿っているのか

 意識はどこにある? なんて話をすると必ずスピリチュアルなことを言う方が出てきますし、僕自身その類の話が嫌いなわけではないのですが今回は横に置いておきます

 

 あくまで科学的に意識はどこに宿っているのか

 全身の細胞にあると言う方もいれば、心臓にあるという方もいますが、医学的には脳に宿っていると言われています。それも大脳

 幻肢痛や臓器移植で人格が変わった話などもありますが、それらはコンピューターで言うところのソフトウェアの範疇でハードウェアは大脳であると

 

 脳全体のわかりやすい画像を用意したかったのですが断面ばっかりであまり良い画像が無かったため文章で説明しますと

 大脳は脳のほぼ全て、サイズにして八割ほどを占めている部位ですね。重さにして1キロほどあります

 大脳を損傷した患者が意識的に混乱した様子を見せることから、この部分に意識があると言われていますが、その1キロあるサイズの具体的にどの部分にあるのか

 ほんの小さなある一点を指してここに宿っている! と言えるのか、ネットワークのように全体として意識を形成しているのかはよくわかっていません

 

 では、この意識を割ってみたいと思います。その前に一つ

 

自分の定義 意識の連続性

 自分であるという定義の話。好きな人は詳しいでしょうが、そうでない人はあまり知らないだろうと思うので軽くかいつまんで解説します

 

 どこでもドアの思考実験が有名です。少し本題に沿うように改変しながら書きますが

 東京に置いたドアからブラジルまでを一瞬で移動する原理は何か。それは物質の瞬間コピー機である

 東京からドアをくぐったのび太くんは素粒子までバラバラに分解され消え去ります。彼は死にました。その一瞬後、ドアによってコピーされたのび太くんの構成要素が全てブラジルで再現されます。再現されたのび太くんはオリジナルがバラバラになった記憶以外の全てを引き継いでいます

 

 こうして客観的に二人ののび太くんを観察した僕たちにはどちらがオリジナルかわかっています。バラバラになったのび太くんがオリジナルで、ブラジルの彼はコピーですよね

 しかしコピー当人は気付きません。死んだこと以外記憶も全て引き継いでいるのでさっき東京に居た自分がブラジルにテレポートしたと感じている

 

『自分』と『自分の完全なコピー』の違いは何か。自分を保証するものは何か。そこで重要になってくるのが意識の連続性です

 主観的にでも客観的にでも、連続して『自分は自分である』と観測し続けることでコピーではなくオリジナルである多少の担保になる。そんな哲学が意識の連続性の話

 

 自分を自分だと連続して観測し続けている限り、自分は自分である

文字にするとものすごくわかりにくいけどなんとか飲み込んで本題に行きましょう

 

 

さあ意識を割ってみよう

 どこでもドアの話で忘れているかもしれませんが、意識が宿っている場所は大脳である

 そして大脳のどこに宿っているのか、小さな点なのか全体で形成しているのかはわからないという前提です

 

 さて、グロい話に突入します。想像しながら大脳を物理的に割ってみましょう

 

 あなたは痛みを全く感じなく、そして不死身です。何をされても死ぬことはありません

 真っ直ぐに気を付けの姿勢で立っています。眠っておらず目もきちんと見え意識もあります

 その頭上から超極細のワイヤーで、丁度脳の割れ目に沿って頭の中間から股間まで体を真っ二つにしてみました。死ぬことはないので意識ははっきりと連続しています

 右手右足のある半身と、左手左足のある半身にちょうど分かれた形

 さあ意識はどこにいったでしょうか

 

ポイント1 この時点で人格はどちらか

 この時点でまず体のどちらに意識が残っているのか。ちなみに僕の想像上の脳内シミュレーションでは右手側が僕でした

 しかし体は不死身なので左手側も生きています。そこに意識は宿っているのでしょうか?

 普通僕らの感覚で言うと意識は自分だけのたった一つのものであり、分裂することは有り得ません。遺伝子が同じ一卵性双生児の兄弟であっても、それぞれ自分は自分だときちんと認識しているし自分の五感は自分だけのものですよね

 

 連続性として見ると、切断前の意識と後の意識では必ずどちらかの半身に主観で記憶が繋がるはずです

 分断した結果、どちらに意識が宿っているのか。右だとしたら左はどうなっているのか。一つの意識が物理的に二つに分かれることは有りうるのか 

 このあたりが疑問点

 

ポイント2 オリジナルはどこか

 脳を真っ二つにした場合、意識を正常に知覚出来るはずがないとつっこまれそうなので不死身の他に特殊能力をもう一つ追加しましょう。プラナリアはご存知でしょうか

 体を切断するとそこから足りない部分を再生して分裂、結果同じ個体が増えるとても奇妙な生き物。ちなみに実験によると記憶も元の個体から引き継ぐらしい

 

 先程の実験で真っ二つに切断されたあなたは、そこを再生してしまいました。結果元の人間が二人に増えた形

 この時どちらがオリジナルと言えるのでしょうか

 どちらにも意識が宿っていた場合、客観的にはどちらもオリジナルであるということが言えるかと思います。じゃあ主観的には?

 自分のこととして考えてみると、意識は必ず右か左どちらかです。自分がオリジナルであると自信を持って言える

 同時に、分かれたもう片方も恐らく意識と記憶は続いたまま自分と全く同じような体験をもとにオリジナルであると主張すると思います。不思議ですね

 

 

まとめ

 まとめも何もないんですが、丁度真ん中から脳を切った時に、意識が連続したままどちらに宿るのかはとても興味深い。というか不思議ですね

 もし脳のこの部分に意識は宿っている! とわかったとしても同じで、その細胞を丁度真ん中から切断、再生した場合どちら側に意識が宿るのか。客観では両方に宿るが、主観ではどちらかに宿るわけです

 

 ちょっと語彙力の問題か、わかりにくくなり申し訳ありませんでした

 この記事は「不思議だなー」で終わりです

 実験の結論は気になりますが自分では答えが出せる気がしないのでここまで。何かあればコメント下さいな