世の中褒めロボ

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家族や友人が死んだら泣くのか? 身近な人の死に対する覚悟の話

どうも、冷血動物マシーンベムです

 

 

僕はまだ周りで親しい人が死んだ経験ってあんまりなくて、ちょっと実感としてわからないんですよ。

先日こんな「モラルとかよーわからん」なんてエントリー投稿した後すぐなんですが

 

hyper-robo.hatenablog.com

 

家族や友人死んだら泣くんですかね?

こういうこと言うとまた非人間扱いされちゃうよ~~も~~

ロボだからいいけど。

 

ちょっと待って、聞いて

子供とかならまだわかる。親死んだら泣くでしょう。

でもさ、流石に15年以上とか生きてたら気付くでしょ。

「人間は不死身じゃない」って

人はいつか死ぬってわかるでしょ。わかってるはずでしょ。

 

それは突発的かもしれないし、病気で徐々に弱って死んでいくのかもしれない。

でもいつかどこかのタイミングで死ぬのは確定してて、当然の常識として皆知っておる。原始時代から知っておる。

その前提がありつつも、大事な人が死んじゃって、えーんって泣くのはなんでなんだろうって話。

 

 

「もう会えないのか。悲しいな」

って気持ちにはなるんだと思う。そこは否定しません。

てか別に何も否定してるわけではなく、自分に経験が無いのでちょっと実感としてわからないから気になってるだけ。

泣くまでいくか? っつーこと

 

あえて最悪な例えをすると

美味しいアイスを食べていたけれど全部食べ終わってしまった。無くなった。悲しい。

度合いは全然違うけれど、悲しさの種類として同じ分類なのではないか?

本当最悪だなこの例え。

でもアイス食い始めた段階で近い将来食い終わって無くなるのはわかってるじゃないですか。

これがわからず食べ終わって泣いちゃう幼児もいますけど。

 

幼児を参考にして考えればいいのか。

アイスを食べ終わって泣いちゃうのは何故か。幸せが消えて驚いた、とも違うと思う。

究極に刹那的にしか生きていないから。

アイスを食べている時は美味しくて幸せで、それが消えて無くなっちゃうなんて考えもしない。想像もしていない。

食べ終わった瞬間、幸せが突然予想もしていないほど突発的に消えてしまって一気に悲しみが襲ってくる。こういうこと?

 

つまり人は、「人間はいつか死ぬ」と知っているつもりで実は全然知らない。誰かが死ぬなんて些かも思っていないし、世界で毎日15万人が死んでいるのはフィクションだと思ってる。

または、「人間はいつか死ぬ」とちゃんと自覚して覚悟も持っていたが、実際に身近な人が亡くなった時の悲しみは想定していたよりも遥かに上だった。

もしくはこのハイブリッド。

 

 

えーと、わかりませんが僕は

「身近な人死んで泣くとかありえなくね?」

って馬鹿にするような話がしたいのではなく、こうやって考えることでいつか自分に訪れる「身近な人の死」を受け入れる準備をしておきたいだけ。

 

そんなこと全く考えてなくて驚いて泣いちゃったでもいいと思う。人としてはまっっったくもって健全。

家族や友人が死んだ時のことを深く想定しておくって方が人としてどうかとは思う。

 

ただ自分はもうこうやって考え始めちゃっていて、基本的に僕の考え方として

「怒りや悲しみの感情は予測し覚悟することで抑えることが可能」

だと思っているので、もし親や友人が死んで自分が泣いたらなんか負けたような気がするんだよね。想定が甘かったんだって。

 

自分にとって大事な人が自分より先に死ぬかもしれない可能性について、みーんなわかってる。知識としては理解しているはず。

ただ実際自分がそういう立場に置かれるまでは

「大事な人を亡くした気持ち」

を100%自分の中に再現してシミュレートすることは出来ない。

それが本当にどこまでリアリティを持って100に近付けることが出来るのか。

 

こんなことやって意味があるのかはわからないけど、家族、友人が亡くなって相当ダメージ受けてふさぎこんでドロップアウトって人もいるからね。

事実から目を逸らさず現実を生きるつもりがあるのであれば、やらないよりはやった方がいいと思う。

覚悟は大事です。