タイの洞窟に取り残された少年たちをもし見捨てたら何人救えたか
どうも、僕です
いやーね、タイトル通りタイの洞窟で脱出不可能になってしまった少年らの話です。
これは本当、言っても誰も得しない。途中救助隊の中から一名死者が出てしまったものの、少年らは全員救出されハッピー。本当に良かったね! 終わり! でいいんですけれども。
この件に限らず以前から思っていたこともあって、書く方も読む方も誰もいい気分にならないし何か特別な知識を得られるような話でもないんですが
そういうことこそを書いていくのがネットなんじゃないかなってことであえて書いてみます。
まず事件のざっとした概要ですが、タイで少年含む13名が洞窟の深部で浸水により進むも戻るも出来ず閉じ込められてしまった事故ですね。
浸水部は狭く視界も悪く、救助は大変困難と見られていましたが各国から派遣されたダイバーなどの救助部隊、ドクター、排水のためのポンプ隊など総勢100名の力により無事全員救助成功したという話です。
この救助活動の際ダイバーの一名が亡くなっています。
で、この子ら助ける必要あったの? って
助ける必要あったのっていうか、どうして僕らは助けてしまうのだろうって。
自己責任論も少し関係してくるけど、もっと単純に金、コストの話です。
特に何かデータを持ってるわけでもないのですが、この事故の救助活動にはおいくら万円使われたのでしょうか。タイだからバーツだけど。
100名を超える有能な人材と機材。もし無償で協力している方がいたとしても、その分のしわ寄せはコストの形になりどこかで発生してるんですよね。
よく『難病の子供を救うための募金』が批判されることがあります。
海外で移植手術を受けるため助けてくださいってやつですね。1億とか2億とか。
批判はありつつも結構日本人は優しいもので、そんな大金が本当に集まっちゃったりもしているようなのですが、どうして命を救うための募金が批判されるのでしょうか。
言ってしまえば「1億あったら何人救えると思ってんだ」ってことです。
他にも、高額なのは現地で移植待ちをしている患者に割り込むための費用だからって批判もありますね。
「命は金で買える」とまでシンプルに言ってしまうと色々と語弊もありますが、命と金は切っても切れない関係なのでございます。
1億で1つの命が助かるのと、1億で10人の命が助かるの、どっちが正解ですか?
僕も含め、人は結構このような問題に対して目をそむけがち。考えるまでもなく答えは明白なのに、解答しないことを選びがち。
1千万で助かる命は多分かなりあります。ここ日本でも、当然タイでも。
100万、200万だって人によっては命に関わる金額です。
もちろん、そうやって誰でも彼でも金配って助けていたら財政がもちませんので国は社会保障という形でセーフティーラインと「これ以上は助けませんよ」のラインを決めているわけです。
手術しなかったら死ぬけどすれば助かるのでお金下さいって言っても直接はくれませんよね。ケチくさいことに。保険なり控除なりの制度を利用して下さいって言われるわけです。
借金作っちゃって首吊ろうと思うんですって役所に相談してもお金くれたりしません。
でも一方ではこの洞窟事故のように大金をかけて救っている命もある。
きっと日本で同じようなことが起きても同じように助けるでしょう。
ここで「コストがかかるので見捨てます」なんて言ったらもう国内どころか世界中から
非難されるわ政権支持率落ちるわ誰も得しません。
こんなこと書いてる僕ですら実際に「見捨てます」なんて言ってるの聞いたら気分悪くなりますし、手のひら返してこれと真逆のブログ記事書いてると思います。
だから洞窟の少年たちなんか助けなければ良かったのにとは言いません。
てか実際にいくらかかったのかとか知りませんしね。
ただこう、この件に限らず金を通して見ると、助かった良かった良かったと言われている命の裏で、見捨てられてる命もあるのだろうなというモヤモヤした考えがどうしても浮かんでしまうのでした。
でもね、かかる金があれば返ってくる金もあったりして。
この事故は今後本になったり映画化したりして、もしかしたらかかった金額の何倍も返ってくるかもしれませんね。
ただそれは結果論、全員助かった今だから言えること。
これも今だから書けることですが。