セクハラ、いじめ問題は『怒れない』ことが複雑化させている
どうも、ICレコーダーです
最近世間ではセクハラが話題になっています
発端は財務省の福田事務次官が取材に訪れた女性記者に対しセクハラ発言を繰り返したというもの
本人は否定していますが連日大きく取り上げられています
また、事務次官の報道を踏まえて放送されたであろうテレビでのセクハラ特集についても様々な意見が発信されぶつかり合っている状態です
セクハラのボーダーめっちゃ低!!!こっわ pic.twitter.com/I1S9gM2J3u
— KSK (@16384_32768) 2018年4月21日
以上の件について以前から感じていた『怒る力』と絡め感じたことを書いてみます
このブログは予約で記事を投稿しており、この記事が公開される頃にはある程度世間の熱も冷めている頃だと思うので炎上にビビらずいきましょう
こういった問題で非常に大事だなと感じることが『怒れること』です
セクハラとは何か
「セクハラ? 何それ美味しいの?」
なんて人はこんな場末ブログに辿りつかないと思うので居ないものとして考えますが
セクシャル-ハラスメント、略してセクハラ
セクシャルは性的な、ハラスメントは嫌がらせ
実はセクハラは犯罪ではありません
『嫌がらせ』です
勿論刑事事件として処罰対象になるような案件もありますがセクハラ=犯罪ではなく
『程度による』のが現在の法律です
ハラスメントの定義
取り上げたツイートにセクハラのボーダーが低いと驚愕されていたものがありますが、それもそのはず
刑事や民事裁判で対象になる程度かどうかは別として、単純な『嫌がらせ』の定義としては『本人が嫌だと感じたら全て嫌がらせ』となっています
本人が嫌だと感じたら全てです。全てハラスメントと言えます。犯罪ではなく嫌がらせなので、客観的評価は必要とせず主観のみで成立します
そしてハラスメント、嫌がらせと全く同じように被害者の主観でのみ成立する行為が『いじめ』です
セクハラといじめ
『ハラスメント』と『いじめ』
言葉が分離してしまっていますが、本来これらは同じものです
よくハラスメントやいじめを無くす方法として「人が嫌がるかどうかをよく考えて行動する」と言われることがありますがこんなものはどだい無理な話で
人類の価値観を量産品のロボットと同程度にまで統一管理していかなければ実現出来ません
「人の嫌がることをしなければいい」と言う人の根底にあるものは「人の」と言いつつも、おそらくは「常識」のようなものです
善意で余ったパンを「食べますか」と差し出しても、受け手が小麦アレルギーでもあれば嫌がらせととられかねないですし
余ったパンを持ちながら差し出さなければそれもまた嫌がらせととられかねない問題です
人の持つ「常識」の範囲は千差万別であると同時に、明らかに常識外の感覚であっても受け手が嫌がらせであると感じてしまえばそこでハラスメント、あるいはいじめは成立するのです
結局ハラスメントの加害者や被害者になるのを防ぐ最高の方法は、互いに誰とも無駄なコミュニケーションを取らないことになってしまいます
価値観を完全に並列化したロボットか
無駄なことを一切喋らないロボット
どちらがいいか選んで下さい
セクハラ、いじめを現実的に解決するには
ロボットになるのは嫌だ
他にセクハラやいじめを実際に解決する方法は何か
わかるわけないでしょうそんなこと!!
いやもう、こんなブログに解決法が載ってるなんて有り得ないですよ。そんな知恵ないっすよ
ただね、一応思うところはある
本当は被害者がリアクションするのが一番良い
ハラスメントやいじめを解決しようと思ったら、本当は被害を受けている本人が何かしら対策、対応するのが一番効果的で、事態を速やかに最も後腐れなく解決してくれます
でもそれはあまり語られません
「どうして被害者なのに努力しなければいけないのか」と言われることが目に見えているからです
それは確かに一理あります。ありますが、「どうして」と問われれば「それが一番効果的」と言う他ありません
対応策は色々とあるでしょうが、今回は僕が以前より感じていた『怒れない弊害』を話していきたいなと思います
こうしろ! と押しつけるわけでも強いるわけでもないので一つの考えとして聞いて下さい
あなたは怒れますか
セクハラやいじめの問題が語られる時、ふと思うのは怒ることについてです
僕は怒るのが非常に苦手です。理性が強すぎるのか、単に気が弱いのか所謂『キレる』までいかないのは勿論、不快感を表面に出すことすらとても苦手
ちょっと「嫌だな」と思っても自分が我慢すればいいかとストレスを飲み込んでしまうタイプ。正直大人になってから人前で怒った経験は皆無と言っていいかもしれない。思い出せない
幸い人運は良い方でこれまでの人生そこまで怒るべき場面に遭遇したことは多くありませんでした
でも自分が『怒れないタイプだな』とは実感としてわかっている
僕と同じような人、多いんじゃないでしょうか?
嫌なことをされたら面と向かって怒ることが出来ますか?
そしてそんな『怒れないこと』が問題を複雑化させている気がしてなりません
怒ることへのアレルギー
自分は何故怒らないのかと考えてみても「そういう性格」としか言い表せません
教育の結果なのでしょう
- 暴力はいけないこと
- 怒るのは怖くて嫌い
- 人と争うのは嫌い
- 人の嫌がることはしないように
このように性格形成されてきましたし、同じような人も多いと思う。今見ても特に何か間違っているとも思いません
しかし目の前で声を荒げ怒っている人を見ると、嫌だな怖いなと思うと同時に少し羨ましくもありました
どうして自分はあそこで怒らずにへらへらしてしまったんだろうと悔やんだ経験が今まで少なからずあったからです
怒るべき時は怒れる人間になった方がいい
すぐ怒ってヒステリックになる人間は嫌いですし、大声で怒鳴ったりするのも嫌いですが
怒ること、不快だと相手に知らしめることはとても大事だなと感じています
怒らないから相手も限度がわからないし、溜め込んで溜め込んでいきなり民事裁判や退職願となるから事態が大ごとになってしまいます
僕自身ずっと怒るのは良くないことのように思っていましたが、そうではありません。社会で生活していく上でとても重要なことです
ヒステリックに、大声を上げて怒鳴りつけるのではなく
自分は不快であることを感情込めて相手に訴える。大人であればおそらく多くの場合わかってくれます。ちゃんと伝わります
そこでわからなければ改めて対策を練りましょう。自分の気持ちを伝えるのは基本です!
子供だったらそのまま喧嘩したっていい。大人が間に介入するよりよっぽど後腐れない。いじめから喧嘩になっただけでもう関係は対等です。喧嘩は子供の特権!
自分の感情を殺し、場の空気を優先することも同じようにとても大事なことですが、それで自分が追い詰められ耐え難い思いをするところまでいくのであれば時には感情的になるべきです
まだ『怒れない』自分が言えた義理ではないのですが、『怒るべき時にきちんと怒れる』人間になった方が絶対自分にとって人生にとってプラスになる
難しいですが一緒に頑張りましょう
まとめ
いきなり怒れと言われても難しいでしょうね
性格的にもそうですが、状況的に難しいことも多いというか殆どそうでしょう
でも多分、セクハラやいじめが無い社会になるのを待ってるよりは相当早いですし何も言わずに相手が飽きるのを待つより相当確実です
怒り方はよく考えて下さい。大人だったら軽く無視するだけでも怒ってるなと気付けますから
いやーー書くんじゃなかったかなーー!
まぁいいや! またね!